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「地球」に対する責任が

                                            沖縄タイムス(2008年1月3日)                       姿を消した生き物 
私たちがメダカを見なくなってどのくらいの年月がたつのだろうか。
学校にある池や田畑、そして小さな水たまり、集落を流れる小川の近くでは、夏の夜にはホタルの幻想的な光も目にした。  中学生のころまで、休みのたびに通っていた越来ダム下の湿地にはターイユ(ギンブナ)が泳ぎ、時折釣れるウナギやトウギョに喜んだものだ。  
空にはチョンチョナー(セッカ)が舞い、緑に黒を配した大きなキンダー(オニヤンマ)や銀色のギンダー(ギンヤンマ)が羽音を残しながら飛び回る豊かな自然があった。
 

それらの昆虫や淡水魚が突然消えた。木造住宅がコンクリート住宅に変わり、原っぱが駐車場に姿を変え、ため池が埋め立てられるとともに私たちの前から姿を消したのである。
社会資本整備と便利さを求めた結果とはいえ、身近な生物を観察できなくなったのは残念というしかない。  海の中も異常を来している。亜熱帯地域にある南西諸島周辺海域には大小さまざま、色とりどりのサンゴとさんご礁が広がる。ダイバーの目を楽しませる一方、魚の産卵場にもなり、豊かな環境をはぐくんでいる。だが、昨年、国内最大の面積を誇り約四百種のサンゴが確認されている石西礁湖の約八割が白化したという。温暖化による海水温上昇が原因である。
温暖化は私たちの暮らしと決して無縁ではない。ガソリンや灯油、電気、冷暖房器、日常的に使うパソコンも二酸化炭素の排出につながるからだ。  人間の暮らしが海の環境をも左右しているのである。  温暖化は台風を大型化させ、極地の氷やアルプスの氷河を溶かしている。インド洋上にあるモルディブの人々が海面上昇によって移動を余儀なくされているのもその影響だ。
私たちは今、地球規模の問題に直面しているのであり、沖縄だけでなく地球全体の環境に責任を負う時期にきていることを自覚しなければならない。 負荷かけぬように  暮らしに密着した場所に目を転じてみよう。  例えば、干潟の環境保全などで議論百出している沖縄市の泡瀬干潟には幾つかの下水溝が流れ込んでいる。  深刻なのは、下水溝から海に流れ出る生活排水であり、油などの浮く汚れた水である。  確かに干潟には汚水を浄化する作用がある。しかし、このままでは早晩限界がくるのではないか。  私たちはこの問題について早急に対策を打ち立て、対応していかなければならない。  海域を守るために地域がなすべきことは、暮らしから生ずる生活排水を垂れ流さぬようにすることだ。洗剤や油、化学肥料を安易に流さない。そのことにもっと気を配るのが私たちの責務だと考えたい。  生活排水は、四方を海に囲まれた沖縄では深刻な問題である。汚水が予想以上の負荷となり、汚染範囲を急激に広げていくからだ。そうなれば生息する魚介類にも被害を及ぼす。  自然に対する気配りが求められているのであり、日々の暮らしが自然とともにあることをいま一度肝に銘じることが求められよう。
                       自然保護に英知を  
昨年はヤンバルクイナの輪禍が二十三件あり、過去最高を記録した。  ヤンバルクイナが路上に出るのは、本来の生息域である森林が異常を来しているからだ。ダムによる森林伐採に加えて林道建設や農地開発、農道整備でも山の木々は切られている。  それがヤンバルクイナを人里に近づけている最大の理由であり、マングースの北上もまた、この鳥を危機に追いやっているとみていいだろう。  必要以上に開発を進めているのであれば、これは人災である。私たちは“東洋のガラパゴス”が危機に瀕していることを認識する必要がある。  どこまで開発の手を入れ、どこで環境を守っていくか。真剣かつ具体的に検証しなければ、沖縄の自然は取り返しのつかないことになる。  大げさな話ではない。復帰後の沖縄が進めてきた開発と対峙する自然保護。それをアポリア(克服しがたい矛盾)として諦めず、一人一人が知恵を出し環境保全に取り組む年にしたい。